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ねぇ、兄様。もう帰ってしまわれるの?
また明日も来てくださる?
兄様が来てくださらないと、つまらないわ。
あぁ、そうだ。いいことを思いついた。
兄様、大きくなったら、私達、夫婦になりましょうよ。
そうすれば、ずっと遊んでいられるわ。
花冠を編んで、歌を歌って過ごすの。きっと楽しいわ。
それまで、私はいつまでも兄様をお待ちします。
いつまでも
いつまでも――
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――時は1980年10月。まだ年号が昭和であった頃。 長門では、ある一つの行事を迎えていた。
「出雲大社ですか?」
紫の髪色の少年、シキは小首を傾げた。
「あぁ、今年からはお前も同行することになった」
十五、六歳の見た目をした美貌の長、カエデはおうむ返しの言葉に頷く。
黒髪に涙色の双眸を持つ彼は、見惚れるほどに美しい。
「神無月に出雲大社へ行くなんて、またどうして僕が……。今まで留守番係だったはずなのに……」
毎年、10月11日から17日の七日間、各地の神々が出雲へ集まり、縁結びの会議――神在祭を開く。 カエデは神ではないにしても、地方の長として出席しなければならない身である。
長が森を留守にする間、留守神という役目の者を置いていく決まりがあるのだが、人手不足のため、三十年間 シキはその役目を果たしてきた。
それが突然、カエデと共に神々のいる出雲へ赴くというのだから、シキが驚いて当然だった。
「今年はようやくお前以外に、留守神にうってつけの人材を見つけたからな。だから、今年から一緒に行くことに なったんだ。それに、本来なら神無月に補佐を同行させるのが当たり前だ。今までがおかしかっただけさ」
「だからって、直前に、急に言われても困ります!」
今は10月9日である。出雲には11日に到着しなければならないので、遅くとも10日の昼には出発することが確実だ。
「悪い。ついさっき、思い出したんだ」
全く悪びれなく謝るカエデに、シキは怒気を強める。
「まさか、僕が断れないよう、わざと今日まで内緒にされていたのでは……」
「さぁ、何のことだか」
神無月に森を留守にするには、かなりの事前準備が必要となる。
その準備を無に帰す行為を絶対にしないだろうと踏んで、カエデは直前まで言わなかったのだ。
(カエデ様は、お人が悪い……)
怒りを通り越し、半ば呆れていると。
「でもな、シキ。お前と出雲へ行きたかったというのが、本音なんだ。オレはここ数十年、ずっと一人で出雲へ行っていたから……」
「……カエデ様」
やけに切なげな微笑に、僅かにあったシキの怒りの熱が冷めていく。
「それにな」、とカエデは懐から二枚の紙を取り出した。
「もう二人分の新幹線のチケットを予約してしまったから、今更キャンセルされたら困るんだ」
「……」
こうして、シキはやむを得ず、出雲へ同行することになった。
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長門を出発したのは、10日の夕方だった。
留守神――タイカに七日分の仕事の引継ぎを行い、霊達に挨拶をしてから出たために、少し遅くなってしまったのだ。
「そういえば、よくタイカ様に仕事を任せられましたね」
新幹線の中で駅弁を美味しそうに食べているカエデに、シキは思い出したように言う。
「あぁ、新任された長のことか。中々やっかいではあったが、あちらのお好きな勝負とやらで勝って、仕事を押し付けてきたんだ。 長門には二人も長がいるから、どちらかは残らないといけないからな」
やたらとしつこく勝負を申し込んでくるタイカは、二年前に隣町の長に任命された。 カエデが無断で領地に踏み込んできたことが原因で、タイカとは仲がこじれてしまった。
そして厄介なことに、タイカはカエデに敗北して以来、ひっきりなしに勝負を申し込んでくる。 最近、それがカエデの頭痛の種となっている。
「まぁ、今回は彼のおかげでシキを連れてくることができたんだ。よしとしよう。ところで、シキ」
「はい?」
「駅弁を食べないなら、貰っていいか?」
「……」
どこまでも食べ物には目がないカエデに、シキは周りに怪しまれないよう、ひっそりと渡す。
カエデは気にしなかったが、今の彼は誰もいない座席相手に話している状態である。
シキはただの霊で、カエデのように人間に姿を現すことは出来ない。
おかしな行動をとる上、カエデはやたらと顔立ちがいいものだから、なおさら目立つのだ。
「シキ、駅弁おかわり」
「もう勘弁してください……」
出雲に着くまでの間、シキは一人、羞恥心と闘っていた。
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長門から出雲までは思いのほか遠く、到着する頃にはすっかり日が暮れていた。
「うわぁ、大きな所ですね」
七日分の荷物を抱えながら、シキは感嘆の声を洩らす。 三つ目の鳥居をくぐり、最初に見えたのは拝殿だった。人々が参拝に訪れる場所だ。
拝殿だけでもシキが見てきたどの社よりも大きい。 それ以外にも、いくつも社があるというのだから驚きだ。
「オレ達が泊まるは、東十九社 (ひがしじゅうくしゃ) と呼ばれる宿舎だ。 とりあえずそこに荷物を置いて、着替えたら神楽殿へ行くぞ」
「え?どうして、神楽殿へ行くんですか?」
神楽殿は祭事を行う場であるため、会議を目的で来たシキ達には関係ないはずだ。
そう不思議に思っていると、いきなり川の向こうに建つ建物に明かりが点いた。
「な、何ですか」
「あぁ、始まったか」
動揺するシキの一方、カエデは悟ったように口角を上げる。 同時に、太鼓や笛の音が響き出した。
まるで、今から祭りが始まるかのような騒ぎだ。
「行くぞ、シキ。祭りだ」
「えぇ?」
何の説明も受けず、足早になったカエデの後を、シキは追う。
二人は一度、宿舎である東十九社に荷物を下ろし、直垂を身につけた。
公式の場ともなると、さすがに正装で出席しなければならない。
「カエデ様! 直垂ではなく、狩衣をお召しになってください! カエデ様は侍従ではないのですよ」
「いいじゃないか。こっちの方が動きやすいんだから」
昔からの風習で、身分によって着衣が決められている。 侍従は直垂、地方の長は四位以上に数えられるので、狩衣だ。
しかし身分などといった制度に全く頓着しないカエデは、平気で常識破りのことをする。 シキのお説教にも慣れたもので、どこ吹く風だ。
睨むシキに、会議の時は狩衣に着替えるという約束をして、神楽殿へ向かった。
神楽殿は本殿からは少し外れた場所にある。 庁舎の脇道を通ると橋がかかっており、そこを通ればすぐに神楽殿が見える。
暗闇の中で唯一光る神楽殿は、どこか浮世離れしていた。 人間が使う電気を一切使わず、提灯の明かりだけで照らされた景色は、幻想的なまでに綺麗だ。
そこに躊躇いなくカエデは踏み込んでいく。
思わず立ち止まってしまったシキは、慌ててカエデの後ろについていった。
「どうして、まだ神無月にも入っていないのに、こんなお祭り騒ぎなんですか?それに、皆様は会議をしに来られたのでは……」
「前夜祭だよ。明日から日中は会議やらで忙しいからな。夜はこうして祭りを開くんだ。会議なんて表面上は利口ぶってるが、 オレからしてみれば、ただの飲み会だな」
「これが七日間……」
カエデにつれられ神楽殿に入ったシキは、飲み会と称した光景を唖然と見つめる。
そこにはシキの想像していた荘厳というイメージからは、かけ離れた神々の姿があった。
厳めしい顔つきをしている大男も、半魚の妖めいた姿をしている者も、酒の酔いが回り、皆 頬が緩んでいる。
所々から、どっと品のない笑い声も上がる。 酒のせいなのか、恋人と抱き合う者もいた。
あまりの浮れぶりに、思わず目を背きたくなる。 長居したい場所ではなかった。
「カエデ様、もう出ましょう……って、あれ?」
先ほどまで隣にいたはずのカエデがいなかった。 どこにいるのだろうと、首を巡らせていると、すぐにカエデは見つかった。
曲をかき消してしまうほどの音が、神楽殿に響いたからだ。
「な、何しやがる小僧!」
カエデに背負い投げで投げ飛ばされた男は、情けなく床の上を這う。
それをカエデは冷やかに見やった。
「嫌がっている女性にしつこく付きまとって、『何をしやがる』 も何もないだろう。あまり羽目を外すな」
カエデの声に含まれる怒気に気圧され、一瞬ひるんだものの、すぐに男は口を開く。
「ふん、誰に向かって口をきいている。お前、見たところ侍従だろう。侍従が狩衣を着るオレに逆らっていいと思っているのか!? 一度 痛い目に……」
「カエデ様ー!」
タイミングを見計らって、シキはカエデの名を呼ぶ。 そうすれば、この場が収まることをシキは知っていた。
「カエデ?」
「カエデだと?」
「もしや、あのタイカを倒したカエデか?」
「鬼神のカエデだ」
案の定、静まりかえった場に、カエデの名は口々に広がっていく。
日本各地の長を倒したタイカはかなりの有名人で、そのタイカを倒したカエデは最近、神々の話題にも上るほどの時の人と なっている。 今では彼の名を知らぬ者はいないだろう。
「き、鬼神のカエデ……。殺されるっ……っ!」
カエデの正体を知った男は見るからに青冷め、すっかり怖気づいている。
そして果てには「お助けをー!!」、と泣きべそをかきながら逃げ去ってしまった。
「……鬼神のカエデなんて、一体 誰がつけたんだ?」
「さぁ?」
いつの間にか定着してしまった異名に、二人は首を傾げるしかない。
そこへ、一人の男が人だかりの中から歩み寄って来た。
「おぉ、カエデ。久しぶりじゃなぁ!」
「猿田彦!」
剣呑な雰囲気からカエデの表情がぱっと明るくなる。 どうやら、顔見知りのようだった。
「シキ、こいつは猿田彦 (さるたひこ)。酒飲み仲間だ」
カエデに紹介され、シキは改めて猿田彦を見た。
赤い肌に、人間では考えられない長い鼻。 まさに、絵巻の世界から飛び出してきた天狗といった容貌だ。 だが粗野な感じはあれど、朗らかな表情からは優しい気性であることをうかがわせる。
「初めまして。カエデ様の補佐を務めているシキと申します」
シキも自己紹介をし頭を下げると、「ほぉ!」、と猿田彦は声を洩らす。
「お主がシキか。カエデからよく話は聞いているぞ。七日の間だが、宜しくやってくれ」
挨拶代わりなのか、猿田彦はシキの頭を わしゃわしゃと撫で回す。
おかげでシキの髪はぼさぼさになった。
「それにしてもカエデ。お主が神楽殿に顔を見せるとは、珍しいのぉ。何か用事でもあるのか?」
「いや、シキは今年が初めてだから、案内だけしようと思ってな。オレ達はもう行くよ。 やはり、ここはいつ来ても好かん。ではな」
「おう。また宿舎でな」
お互い手を軽く挙げ、カエデはシキを連れて神楽殿を出ようとする。
階段に足を踏み入れようとしたところで、それを阻むものがあった。
「つれぬではないか、カエデ殿」
背後から聞こえる濃密な甘い声に、カエデはピタリと止まる。 声の主の出現に、周りは再びざわつき始めた。
「見ろ。玉依姫 (たまよりひめ) 様だ」
「何故このような場に?」
――玉依姫?
何となく聞き覚えのある名に、シキはその者を振り返った。
銀の瞳。銀の髪は、床に届くほど長い。 女性は中国の貴人が着るような、華やかな装束を身にまとい、魅惑的な微笑を浮かべている。
一瞬で目を惹きつけられてしまう、神懸かった美しさの女性だった。 神楽殿にいるどの女性よりも格上だ。
周りの神々は、すっかり彼女に魅入っている。
「これは、玉依姫様。ご挨拶が遅れて申し訳ありません」
やはり神の中でも高位の女性らしく、カエデの腰が低い。 カエデは普段、あまり敬語を使わないため、シキは少し驚く。
「昨年も今年も、カエデ殿には文を送らせていたのだが、そなたはいっこうに我に会いに来ぬ。 それほど我に会いとうないのか?」
玉依姫の非難に、カエデは見たこともない営業スマイルで答える。
「姫様のご招待は嬉しい限りなのですが、生憎と私は多忙の身ですので、お誘いを受けることが叶いません。 断る私を、どうかお許し下さい」
と、心にもないことをカエデは並べ立てる。 あくまで慇懃に振舞い、カエデはシキと共にその場を辞そうとした。
だが。
「では、忙しくなければ、我の誘いを受けるのだな?」
「……はい?」
シキとカエデは嫌な予感がし、玉依姫の顔を見つめる。
そして、その予感は次の瞬間に的中することとなった。
突然、玉依姫は厳かに告げたのだ。
「長門の長、カエデ殿」
「はい」
「そなたを、我の夫候補に任ずる」
「………………は?」